自分が大切と思うことが、本当に子どもにとって大切なことでしょうか?

親や支援者は誰しも、子どもにこうなってほしいという願いを持っています。しかし、心に悩みを抱える子どもと関わる上では、その願いが裏目に出てしまうこともあります。例えば、学校を休んでいて、「せめて給食だけでも行ってほしい」と保護者や教員が思ったとします。しかし、もし本人が校門をくぐるだけでも人の目が気になって車の下に隠れてしまうとしたら、その願いは子どもの現在の状態に見合っているとは言い難いでしょう。これと似ていることが進路選択でしばしば見られます。親としては、進学校だとか公立高校に行ってほしい、少しでも良い大学に入れば安定した職場に就職できる、そうなれば安泰などと思う、給料や会社の安定はとても大切ですが、それだけが幸せのバロメータとは言い難いですし、何よりそれは本人が判断することです。そして、子どもはそもそもそのような生き方を望んでいるのでしょうか。

大切なのは、自分の願いの通りに進めることよりも、子どもの「現在の状態」「特性」、そして「本人の気持ち」を理解する事です。このようなことに親や支援者が気づけるかどうかがとても大切です。私たちは「こうした方がいい」と強く思っている時ほど、子どもを型にはめ、子どもが自分らしく生きることを妨げてしまう可能性があります。それは、主体が「自分」になっているからです。自分の願いを一旦脇におけるかどうかは、色んな人たちと触れ合い、色々な価値観に開かれていることが大切です。

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