「目標」とは、現実に達成可能な範囲内のことを言うのであって、 達成不可能なものは「願望」である
最近、色々な所でこのように言うことが増えました。明らかに登校できない状態な
のにもかかわらず登校させようとする、本人の発達がゆっくりなのに無理やり「普通
」にもっていこうとする、あるいは部下に期待しているからという理由で力量に合わ
ない仕事を任せる等、色々な場面が想定されます。どれも、本人の成長よりも、「自
分はできない人間なんだ」「どうせやってもできない」という自己肯定感や学習意欲
の低下等の二次的な問題に繋がることが懸念されます。
人はこのように様々な「願望」を人に向けますが、決して「願望」が悪いわけではあ
りません。親と子のように、大切に思えば思うほど「願望」は大きくなるものですし
、大切に思っている証とも言えるでしょう。しかし、そこに落とし穴があるのではな
いでしょうか。私は「目標」と「願望」を混同しているのを自覚していないことが問
題なのではないかと考えるようになりました。また、自分の大切な人の現在の状態を
「期待」という名の色眼鏡で覆い、「現実」から目を背けてしまっているのではない
かと思いました。それも無理のないことですし、それを責めるのがお門違いなのは、
上記の通りです。しかし、今皆さんが接している人にヤキモキする気持ちが強いので
あれば、もしかしたら目標が高すぎるからかもしれません。今相手はどのような状態
なのか、その状態に即した目標設定と言えるのか、見直してみてもいいでしょう。
発達心理学の中に、「発達の最近接領域」という考え方があります。これは、「①
一人でできること」「②支援があればできること」「③できないこと」の中で、②の
ことを言います。②に目標設定を置くことで、無理のないスモールステップで成長に
繋げることができるという考え方です。裏を返せば、支援があってもできないこと③
は、目標設定を見誤っている可能性が高く、自分の「願望」と言えるでしょう。今目
の前のことだけではなく、過去から遡って「文脈」、目の前のことだけなく置かれた
環境等の「背景」を見渡してみると、また違った景色が見えると思います。