令和2年度 文化祭を開きました!

令和2年度文化祭を1月23日(土)12時30分~13時40分までアイプラザ半田2階小ホールで行いました。毎年のばす会の一年間の取り組みの様子を子どもたちの発表会や掲示や展示物で皆様に知っていただきたいと開催しました。

今年は寺子屋とハートルームの子どもたちのリズムベルの発表から始まり、ダンスの発表、卒業生による生活体験発表「今だから話せる第5弾」やスタッフ・親の会の紹介などの発表をしました。子どもたちは少し緊張して演奏し、楽しく踊り、切実な体験発表だったと思います。

緊急事態宣言中でしたので開催するか大変迷いましたが、感染予防に十分気をつけながら、子どもたちの生き生きとした活動の様子を見させてもらって開催してよかったと思いました。

 

次に和田アンドレアさんの「今だから話せる第5弾」の発表内容を掲載します。

 

大学生 和田アンドレア

 

私はボリビア生まれで、小学校3年生の時に日本に来ました。母国では治安や経済が悪く、日本では安定した生活、そして安全なところで私を育つことが出来るという思いでボリビアを出て日本に来る決意をしました。私はことばや文化を全く知らずに小学校に入学し、その小学校には外国籍の子どもが一人もいなくて、日本語であいさつしかできなかった私はことばの関係で人と上手くコミュニケーションをとることができなくて、気づいたらいじめにもあっていました。当時は父しか働いてなかったせいで家計が苦しくなり、学校や家でも相談できる人はいなくて不登校になりました。そして、母が働き始め、私は弟の面倒を見ながら家で日本語の勉強をしました。日本語がだんだん身に付いて、学校に戻りたい気持ちもありましたが、リーマンショックで父が働けなくなったり病気になったり、日本語を話せないことでなかなか仕事が続かず、母だけが家を支えていた時期もたくさんありました。

小学校5年生の時には、先生が教科書を持ってきてくれて嬉しかったです。しかし、6年生から全く学校との接触がなく、中学に入学するという誘いもなく、そのまま中学に入学できませんでした。その後、中学に入りたい気持ちはありましたが、いまさら入っても勉強についていかないだろうし、何の誘いもなかったので、中学に行かずにすんでしまいました。15歳ぐらいの頃に、弟の幼稚園の入園手続きの際に教育委員会の方が「のばす会」を紹介してくれました。私はそのころの自分でちょっとした目標を立て日本語能力試験を受けるために弟の面倒をみながら勉強をしました。中学卒業資格もなく、不登校だった私には高校進学は難しいと諦めていました。

しかし、「のばす会」との出会いもあり、このままだと自分には将来がないことに気づいたので、まずは高校に入学したいと決めました。そのために小学校から中学校までの勉強を一からし、幸い日本語能力試験や中卒認定試験等合格することができました。夜間定時制高校に入学し、勉強を第一にしてできる限りの資格を取得に励みました。「のばす会」の方々の支援のお陰です。大学に行くことが目標だったのですが、父が倒れ、私は高校に通いながらアルバイトをし、できる限り支えていたのですが、家はお金がなくて就職をしようとも考えました。ですが、今までの努力を無駄にして欲しくないと、大学にどうしても行かせたいと親が言ってくれましたので、無事、大学へ入学しました。私は母国のような貧しい国のためになにかしたい気持ちから、将来は、貿易会社を立ち上げ、母国ボリビアのためにもお世話になった第二の母国日本のためにも、国際貿易というビジネスを通して自分の夢を実現したいと思っています。縁あって日本にお世話になった以上、日本とボリビアの両国の人たちから喜ばれるような仕事がしたいとの思いで、経営学部を選びました。現在は、星城大学の経営学部2年生です。

「のばす会」を卒業してから約6年が経ちました。中学卒業資格の取得、高校の入学や卒業と、大学の入学ができて今に至ります。中学卒業資格を取ろうと決めた時はこの先の道のりが長いことを分かっていましたので、不安は大きかったです。途中で何回も諦めたい気持ちや、やっぱり就職したほうがいいって思ったことがたくさんありましたが、諦めずに続けて良かったと今は思います。今までは、たくさん辛くて大変なことがありましたが、そのおかげでここまでたどり着くことができたと思っています。それは、「のばす会」のか方々の支援があったからです。「のばす会」のスタッフの方々は私にとっては家族のような存在であり、勉強の面以外で支えてくれました。とても感謝しています。

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